(第8話)正岡子規の埋葬方法

   今回は明治の俳人、正岡子規の「死後」というエッセイをのぞいてみましょ
う。「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」で有名な俳人です。
(その1 土葬について)
 棺桶の中に入って土の穴の中へ落とされることを想像してみよう。パラパラ、
ドタドタと土が落ちてくる。埋め終わると地上の土を踏み固めるのだ。
 生きかえってもだめだ。いくら声を出しても聞こえない。窮屈でいやだ。
(その2 火葬)
 棺桶に入れられ、火葬場の炉の中に入るのは窮屈でいやだ。
 野焼きもいやだ。じわじわと手や足、頭が焼けていくのも痛々しい。死後も
体は完全にして置きたいような気がするから火葬は面白くない。
(その3 水葬)
 泳げないからいらだ。水葬になったらガブガブと水を飲みはしないかと心配
だ。魚に身体をつつかれるものも気持悪い。大きな魚に片腕を喰いちぎられた
ら変な心持がするに違いない。タコやアワビが吸いついた時、手で払いのけら
れないのは心細い。
(その4 死体遺棄)
 山に捨てられるのはどうだろう。これは窮屈ではなさそうだ。だが、狼に食
われるかもしれない。烏がやって来るかもしれない。
(エジプトのミイラ)
 自分が人形になってしまい、浅草の見世物に出されて、お賽銭を稼ぐように
なったら誠に情けない。
 子規は明治三十五年九月十九日に亡くなります。菩提寺は東京田端の大龍寺
です。林に囲まれた静かなお寺です。棺桶は窮屈だと語っていたため、早桶に
入れられます。埋葬方法は土葬でした。 
「星になりたかった」ということだそうです。