禅寺歳時記 3月 春の彼岸会(ひがんえ)

「暑さ寒さは彼岸まで」という言葉があります。「暑いなあ」と思っても秋の彼岸まで、「寒いなあ」と思っても春彼岸になれば、あたたかくなるという意味ですね。
 その「彼岸」とは「悟りの世界」という意味で、「到彼岸」(とうひがん)の「到」を省略した言葉です。
「到彼岸」とは「彼岸に到る」ことですから「悟りの世界へ行こう」ということです。
 たとえば、目の前に川があるとしましょう。川の向こうには悟りの世界があります。向こうの岸のことは「彼(か)の岸」ですから「彼岸」です。一方、今、私たちが立っている所は迷いと苦しみの世界です。向こう岸ではなく此(こ)の岸のことですから、此岸(しがん)といいます。          
 と、言葉の説明はできるのですが、由来ははっきりとしません。彼岸はお施餓鬼やお盆のように特定の経典によって成立した仏事ではありません。しかも、インドや中国にはない日本独特の行事なのです。
 江戸時代になると庶民化し、寺詣でや墓参りが一般化し、今日に伝わっています。
 ところで、「到彼岸」とは「波羅蜜多」(はらみった)のことで、古代インドの言葉の「パーラミター」が語源です。波羅蜜多とは菩薩が衆生を仏の世界へ導く基本的な実行徳目のことです。要するに、此岸と彼岸の間に流れる川の渡り方、悟る方法が波羅蜜多なのです。
「みんなで仏さまの世界に行こう」「みんなでこの世を仏さまの世界にしよう」
 というのが彼岸の意味で、「みんなでお墓参りをしよう」という意味ではありません。
 今、ここを仏さまの国にするための目標としてかかげられたのが六波羅蜜です。六波羅蜜は六度ともいい、度には「渡る」という意味があります。現代語で訳してみましょう。
・布施(ふせ)
  「欲しい、欲しい」とおねだりするだけではなく、物や金銭、心のお返しをしなさい。 
・持戒(じかい)
  「自分がよければいいさ」と勝手に行動せず、まわりのルールに合わせなさい。
・忍辱(にんにく)
  「どうせ、だめさ」とあきらめることなく、我慢してチャンスを待ちなさい。
・精進(しょうじん)
  「早くああなりたい」と結果のみを欲しがらず、一歩一歩努力しなさい。
・禅定(ぜんじょう)
  「ああでも、こうでもない」と心をフラフラさせず、ドッシリと信念を持ちなさい。
・智慧(ちえ)
  「私も仏さまになれる」と確信して、正しい判断と実行力を養いなさい。
 とまあ、彼岸の意味を履き違えるのだけはやめておきましょうね。