平成22年10月 面壁九年の意味するものは

達磨に関しては、明らかな伝記は存在しないが、「景徳伝燈録」によると、達磨は武帝との謁見の後、揚子江を渡って北魏に行き、崇山の少林寺で独り壁に向かって坐禅を始めたとされる。
このときの様子は、面壁九年(めんぺきくねん)として伝えられている。だが、面壁九年という言葉は、「九年間、坐禅をして悟りを開いた」という意味ではない。この時すでに、達磨は悟っていたのだから悟りを開くというのはあてはまらない。その後九年間にわたり、坐禅をしつづけたというのが正しい解釈であり、やるべきことを行いし続けたということを意味している。
また、壁のように動かない、不動の坐禅をしていたという意味もある。あるいは、「その心がショウヘキのごとくなるのだ」という解釈もある
 そのことより、九年も坐禅し続けたことにより、足が萎えてしまった。そこで、だるまさんには足がない。(作り話) だが、達磨が中国に渡ったのが六〇歳ごろといわれている。その年になってから、坐禅をし続けることは、並大抵のことではなかったことは、確かのことである。
達磨は「本来、清浄な自性(もともと備えてある性質)に目覚め、成仏せよ」と説いた。それまでの仏教の教えは、教条的なところもあり難解であった。しかし達磨が説く話は平易だった。なにより、達磨のひたすら実行を説く大乗壁観、のちの只管打坐につながる坐禅は大きな説得力を持ち禅宗はその後中国全土に広がっていく。
「不立文字」「教外別伝」「直指人心」「見性成仏」の禅の思想を端的に説いた4つの教えは達磨が始まりだと伝えられている。