平成22年3月 禅の原点・シッダールダの苦行

 シッダールダは涅槃を目指し、修業に明け暮れる。
 シッダールダが29歳の時、当時のインドではバラモン教の思想や文化が広まっており、ウパニシャッドという哲学思想も確立されていました。仏教の考え方と思われている輪廻(りんね)・解脱(げだつ)などはウパニシャッド哲学で完成された考え方です。
シッダールダは、はじめ 名高い二人の思想家のもとを訪れ、すぐに、師が会得した思想を修得する。だが、シッダールダは両方の思想もニルヴァーナには達していないと見抜きました。自ら苦行をして、独力で悟りを得ようと決意しました。
 はじめ、シッダールダは当時バラモン教の僧侶がさかんに行っていたディヤーナにより、ニルヴァーナに達しようと試みました。だが、ディヤーナでは、とうてい悟りには達することができないことが気づきました。
 (ディヤーナとは、バラモン教での瞑想。座禅)
そこで、シッダールダは、これまで誰もしたことがない苦行を課す決意をしたのである。そして、ナイランジャナー川のほとりの森林のなかの静かな場所を修行の場に選び、決意どおり、すさまじいばかりの修行を行ったのであります。命を維持できるギリギリまでの苦行は、6年間も続けられました。
目は落ちくぼみ、皮膚はひからび、骨と皮だけの姿になりました。インドや南アジア圏では、この苦行仏がさかんに作られ残っております。
6年に渡る苦行の末、シッダールダは、いくら苦行を積んでも最終目的であるニルヴァーナには到達できないことを分かりました。シッダールダは、ナイランジャナー川で身を清めたが体力は戻ってこなかった。
そこに、通りかかったスジャータという娘がシッダールダに乳粥をさしだしたのであります。これを口にしてシッダールダはようやく生気を取りもどしたのです。
この後、ブッダガヤの地でピッパラの樹の下で座禅に入りました。 そして、十二月八日明けの明星のころ悟りを開いた。この日こそ禅宗の始まりと言えるでしょう。