平成23年4月 六祖・慧能として選ばれた偈

禅宗を隆盛させた達磨の弟子たちで傑出した六祖・慧能
五祖の弘忍は7百人を超える修行僧が集まっていた。神秀、智詵などすぐれた弟子がたくさんおり、後世の禅宗のの宗派は、ほとんどが弘忍の門下から出たといっていい。しかし、禅は師資相承(ししそうしょう)のよって伝えられる。大勢いる候補のなかから次の継承者を決めなけらればならない。弘忍は、ある日、門下一同に「自ら会得(えとく)した境地を偈(げ 漢詩)にして示せ」と告げた。
最初、一番弟子の神秀が偈をかいた。
「身是菩提樹 心如明鏡臺 (身はこれ菩提樹 心は明鏡台の如し)
 時時勤佛拭 莫使有塵挨 (時時に勤めて佛拭(ふっしき)し 塵挨(じんあい)を有らしめること莫れ)」
すると、新参者の慧能が神秀の偈を否定するような偈を示した。

「菩提本無樹 明鏡亦無臺 (菩提にもとから樹などない 明鏡にもまた台などない)
 佛性常清浄 何處有塵挨 (仏性は常に清浄だ どこに塵挨があるのか)
 心是菩提樹 身為明鏡臺 (心が菩提樹であり 身を明鏡台というのだ)
 明鏡本清浄 何處染塵挨 (明鏡はもとから清浄だ どこが塵挨にそまるというのか)」

弘忍は慧能の偈を認め、慧能が六祖に選ばれた。